あれから5年、東日本大震災

本日、ハリファックスは1日中雲に覆われて、どんより空です。雪も降ったり止んだり。極寒ではないけど、雪が降る程度には寒いです。今年はいつまで雪が降りますかね~(*´з`)

さて、時間が経ってしまいましたが、先日3月11日で5年経った、東日本大震災について思ったことを書きたいと思います。

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5年前の3月11日の私

5年前のあの日、私は何をしていたか。私は仕事がお休みで、東京のある保育園でもうすぐ園する年長さんに抹茶を立てるというお手伝いしていました。準備、片づけを入れても2時間弱の予定でした。子ども達への活動の終わりの頃、揺れ始めました。私は「なんだか長い地震だな~」くらいでまさか東北でこんなに大きい被害が出ているとは思いませんでした。揺れがおさまってから先生方と一緒に子どもたちをホールに避難させ、先生方は対応で忙しそうだったので子ども達と一緒に遊びながら様子を待つことにしました。子どもって敏感ですよね。「やったー!ホールだー!」って遊んでいる子もいれば、先生の雰囲気がいつもと違うのを感じとって不安そうに私の元から離れない子もいました。私は何も情報を見ていないので、まだ何が起こったのか知りませんでした。でも、何にしても不安なまま子どもたちが過ごすのはかわいそうなので、子ども達が少しでも安心できるように一緒に遊ぶことに徹していました。途中で他の先生や園長先生から「東北がすごいことになっているらしい」という話は聞きましたが、まだ実際のところはよくわからず。お迎えの時間帯だったのですが、電車が止まって保護者が来れるかどうかわからない状態でした。途中で帰るか聞かれましたが、先生方は忙しそうにしていたので子ども達ともう少し遊ぶことにしました。3時頃に帰る予定が結局6時くらいにちょうど父親が車で迎えに来てくれて帰りました。

車内で興奮気味に「すごいことになっている!」と話す父。それでも、まだよくわかっていなかったのですが、大通りに出てから初めて「何かが起こっている!」と実感しました。大きな通りは見たこともない大渋滞!!!歩道には歩いて家を目指す人たちがいっぱい!!!その頃、私は一人暮らしをしていたのですが、保育園、私の家、実家はそれぞれ車で10分の距離なのでほとんど大通りは使わず、裏道を通って一人暮らしの家に送ってもらいました。でも、その後家に帰ってテレビを見て状況を把握してから思いました。うちの父はこんな状況なのに、よく私は実家ではなく一人暮らしの家に送り返したなと!あんなに「すごいことになっている!」と言っていたのに!!!ニュースで津波の様子を見ても、最初は何なのかわかりませんでした。想像を超えていたんです。陳腐な言葉ですが、津波って黒いんだ・・・って思いました。

東京ではその後もしばらく余震でけっこう揺れました。当日の夜はさすがに怖くて、あまり眠れず。枕元にスニーカーと必要そうなものを入れたリュックを置いて、ベッドに入りました。いつでも逃げられるようにと思って。その後、しばらくは毎晩スニーカーとリュックを枕元に置いて寝ました。私のアパートの部屋はあまり揺れなかったようでほとんど物は落ちていませんでしたが、同じ区内でもマンションの高層階などは食器棚が倒れ、割れた皿が床に散乱していて一時非難した方もいらっしゃったようです。

翌日以降の私

翌日は仕事に行きました。その当時、小売業の店舗勤務だったのですが、店舗まで電車で2駅ほどなので自転車で行きました。トイレットペーパーなどの日用品も扱っていたのですが、それから数週間は本当に涙が出るほど忙しかったです。比喩じゃなく、本当に疲れて泣きました。あの時の東京にいた人ならわかると思いますが、多くの人がトイレットペーパー、箱ティッシュ、水、さらには生理用品を求めて押し寄せたのです。正直、東京は被災地ではないのでこぞって買い求める必要はなかったのです。一部の紙製品の工場は茨城など東北に近いところにあり一時的に製造できなかったところはありましたが、あくまで「一時的」なもの。そして、紙製品工場全てが止まったわけではないのです。だから、それぞれが本当に必要な分だけを買い物したら、あんなことにはならなかったと思います。不安からきた買いだめ行動が余計に不安を煽っているように感じました。

あの以上に忙しかった頃の忘れられないエピソードがいくつかあります。まず、日本人ってすごいなって実感しました。あんなに狂ったように買い求めているのに、店頭前はきちんと1列に並んで待っているんです。ケンカすることもなく、おとなしく静かに1列に!これが海外だったら殴りあってでも、いっそその混乱にのかってお金を払わずにもらっていく人もいたことでしょう。列に並んでいた人たちは開店すると、またおとなしく静かにレジに並んでくれるんです!もちろん最初の数日間は多少の誘導は必要でしたが、日本人が日本人であるところを目の当たりにしました。

そんな長蛇の列のレジをさばいている時、80代くらいのおばあちゃんがやっとレジに到着したのに100円足りなかったんです。「家帰って100円持ってきてもいい?」と聞かれました。この時、私はものすごくいろいろ考えました。あぁ、すごく「いいですよ」と言いたい!でも、みんな静かに並んでくれているとは言え、いつもとは明らかに違う心理的状況下で例外を許すと文句を言ってくる他のお客さんがいるかもしれない。「じゃぁ私も取っておいて」とかいう理不尽な人が出てくるかもしれない。こっそりいいよと言いたいけど、すぐ後ろにはほかのお客さんがいる・・・。私が困っていると隣のレジで会計を済ませた高校生くらいの女の子がスッと100円玉をおばあちゃんに差し出して帰って行きました!!!な、なんて素敵な女の子!おばあちゃんが返すからと言ったけど、いらないよって言ってスッて帰って行ったんです。あの子はおばあちゃんを救ったんだけど、本当は日本の会社のルールに縛られて私のことも助けてくれました。

みんなの不安な気持ちから生まれた品薄環境でしたが、そんな中でも人のことを考えられるって素敵だなと思いました。逆に、考えられない人のエピソードとかも耳にしましたが。

5年経って今思うこと

実は当時仲良くしていた他部署の方は東北出身の方であの津波で家が流されてしまいました。ご家族は幸い全員無事でしたが、しばらくは仮設住宅や親戚の家にお世話になっていたそうです。仲良くしていた上司の実家は福島でした。原発からは距離があるところでしたが、それでも同じ福島内。家族内で話して、それでもそこに住み続けることにしたそうです。友達神奈川県内の乳児院で働いていました。震災からしばらく経って、震災孤児の子どもたちが数人入ってきたそうです。東京に実家があり、東京に住んでいた私。5年経って、今はカナダであの日のことを鮮明に思い出します。あの日ニュースで見た「黒い津波」をはっきり思い出します。私ですら、いまでも鮮明に覚えているのだから、被災された方々は今でも苦しんでいたり大変な思いをしているのではないかと思います。もう5年。まだ5年。いろいろな思いがあると思います。被災された方々が1日でも早く安心して暮らせるように願っております。
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